塾長の考える「素直」

そもそも「学ぶ」は「まねぶ(真似る)」を語源としている。では何をまねるのか。それはもちろん先人たちの偉業によって発見された揺るぎのない法則いわゆる「公理」である。これをひねくり回して適用しても同じ結果は得られない。なぜなら世の中はどうあがこうと「公理」通りに「そうなっている」からである。

したがって、先人たちの知識を「素直に」学び(覚え)、そして「素直に」事象に適用することが必要なのだ。(アホに限ってこねくり回して、騒ぎ立てる)

考えるのはその後だ。人は経験や学びで得た知識を、しかも言葉を使い考える。そのときに知識や言葉が獲得できていなければ、元がないから何もできない。たとえば小1くらいの子どもに、作り方も材料もないところで「さあ、おいしいケーキを作ってみよう」と言ってみるといい。絶対に作れるわけがない。無から有は作り出せない。

また、その子の発達段階(知識、経験の適用可能年齢といいたい)に合わせて「考え」させることが大切で、それが指導者の能力の差でもあるだろう。まず考える元となる「知識」の習得が先にあり、それから「思考」だ。これを間違えると「ゆとり教育」のようなことになる。

その課題はその子に合っているのか。学年、学期、週だけではなく、成績、性格、性質、性別なども含めて検討しなければならない。もちろん、敢えて難かしい問題をぶつけることもあるが、それは例外だ。その子に合った課題だからこそ、考えられるし、積み重ねていけば、思考は徐々に深まっていく。

それゆえに、難しいことだが、子供たちには「素直に」知識を習得し、それをもとに「素直に」考え、思考力を養えるよう指導したいと思う。